唄が続いていたとき

恋愛感情のゴミ捨て場。ゴミを開陳してすみません。

夫について

結婚してから、もう二度もあの人の夢を見た。

いつも似たような夢で、お互いの気持ちがすれ違っていて、もどかしい状況の夢だ。もう少しで分かり合えそうなのに分かり合えない。捕まえられそうで捕まえられない。

辛くて息が詰まりそうで、早朝に目が覚めると夫が隣で寝息を立てている。朝のぼんやりと白い光に照らされた夫の寝顔を見ていると非常に後ろめたい気持ちになる。

あの頃の私は、自分と自分の欲望を投影した彼との対話を試みていたのかもしれない。実際にあの人と肉体関係を伴う深い付き合いを数回でもしていれば、存外平凡なつまらない男を発見し、私の方からうんざりして離れていたかもしれない。(というよりそれは確実だ。彼の書いたものの端々に男尊女卑的な考え方を読み取ることができ、本来であれば私が最も嫌うタイプの男性のように思われる。)

それでも、私は彼との関係が決定的にダメになってから8年もたつのに彼のことをあきらめて思いきることができない。まるで小さいときにいくら親にねだっても買ってもらえなかったドールセットのことを大人になってからも思い出すかのように。

みねなゆかさんが、恋愛関係を持てそうだったのに女の方が色々と駆け引きなどの逡巡をした挙句、結局肉体関係を持たなかった場合、その男性のことはそれから何年たっても心の中に澱のように残ると書いていらしゃった。まさにその通りだと思う。

一度でも肉体関係を持ってしまえば、相手を生身の匂いも汗もある存在として認識し(つまり、相手のくだらなさを認識すること)、恋愛概念として自分の中で至高の存在として祀り上げるのをやめてしまうのは男性にかぎらない。

逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり

というのは、男性の肉体関係を持った後の賢者タイムの歌だが、正直女性もコトが終わった後、同じような気持ちになっている。実は、女性も性交中の男性をかなり冷静に見ている(少なくとも私は)。この人、頑張って若作りしているけど、意外と体が衰えているなとか、キスした時、ちょっと口臭があったなとか。

一度でもそういう認識を相手に持てば、まず理想化はできなくなり、はじめてその男性を人間としてどうなのかと評価できるようになる。だから、みねなゆかさんが言うようにこれと思った男性とはこちらの恋愛感情が高ぶりすぎる前にさっさと肉体関係を持つべきだと考える。

夫とは、そうした過去の失敗からデートを始めてからすぐに私の方から積極的に働きかけて肉体関係を持った。その時は、私は夫に強い恋愛感情を持っていなかったから(持つ前に肉体関係を持ったから)、そうした関係を持った後も彼に執着しベタベタしなかったから、夫は私に強い恋愛感情を持つに至った。

正直なところ、恋愛というのはある種の相手への支配の形式で、全ては相手とのパワーバランスで決まる。そうではないカップルもいるのかもしれないが、私は今までの交際関係において、私が劣位だったか相手が劣位だったかという状態しか経験していない。そして、私自身がやりやすいそして社会的にも幸福だと評価される状況は、私が優位で相手が劣位であるときだ。

私は夫をとても人間として尊敬している。夫は旧帝大を出て、社会的地位が高い仕事についているエリートだ。私は周囲の女性から羨望の眼差しを受けている。それに対して、私はつまらぬ専業主婦だ。でも、男女関係において私は夫を明らかに劣位に置いている。恋愛関係において、女性は相手よりも優位な立場になければ、まず男性からプロポーズされることはないだろう。なんらかの理由で、劣位であってもプロポーズされることはあるかもしれないが、結婚生活をこちらの都合がよいように運ぶのには大変な困難が伴うに違いない。交際関係を心地よいものにするためには、相手との闘争に勝ち、自らが優位に立たなければならない。相手が自分に夢中である状態とは、相手が劣位であるがゆえに作出される心理状態だ。恋愛というのは支配と被支配の一類型に過ぎないと認識した方が、明らかに苦しい恋愛を避けられるし、相手との円滑な男女関係を築くことができる。

でも、私が何十年か後の末期に思い出すのは、自分が劣位である苦しい恋愛をし、結局一度も手に入れることができなかったあの人かもしれない。それは、夫に対して本当に申し訳ない。つくづく、あの人と肉体関係を持って、恋愛の幻滅を味わい、心の中で上書きしてしまうべきだったと思う。

あの人と私の人生がもう二度と交叉することはないということが本当に辛い。もう決して上書きして、あの人のことを忘れてしまうことができないから。